会津藩の武士の心得「什の掟(じゅうのおきて)」を調べてみる

2009/04/14 04:30

子どものしつけイメージ当方(不破)がいつも主食に用いている玄米は、あいづ農協が卸している福島県産のもの。パッケージコピーにも「会津魂で作った会津米・玄米」と、シンプルで力強いメッセージが踊っている。先日、ふとパッケージ裏を見返すと、「語り継ぎたい什(じゅう)の掟の心」なるタイトルと共に、いくつかの教訓が書かれていた。「10なのに5つしか載ってないな」……と、後で考えれば誠に恥ずかしい勘違いをし、せっかくだからと調べてみることにした。

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結論から言えば、「什」とは数字の「10」「十」ではなく、会津藩における教育制度。町内を「辺」に分割し、さらにそれを「什」という子弟グループに区分。「什」では「什長」が選ばれ、毎日「什」の構成員を集めて、武士の子どもの心構えである「什の掟」を訓示したという。

具体的な「什の掟」は7か条と+1。旧仮名遣いを現代調にあらため、表記してみる。

1.年長者の言うことに背いてはなりませぬ
2.年長者には御辞儀(おじぎ)をしなければなりませぬ
3.嘘言(うそ)をいう事はなりませぬ
4.卑怯な振舞(ふるまい)をしてはなりませぬ
5.弱い者をいぢめてはなりませぬ
6.戸外で物を食べてはなりませぬ
7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

玄米のパッケージには1-5までと、他に続くことを意味する「その他」、そして「ならぬことはならぬものです」が書かれていた。確かに食品に「戸外で物を食べるな」「戸外で婦人と会話するな」はやや気まずい気がするので、賢明な判断だったといえる。

なおこの「什の掟」はベストセラーの『国家の品格』でも紹介されるなどで、全国にも知られることになったとのこと。

当時の「男女七歳にして席を同せず」などの社会習慣を考えると「7.」は当然のことであるし、武士として食べ歩きは行儀が悪いから忌み嫌うべきであるとの教えを「6.」に盛り込むのもごく自然の話。「3.」「4.」「5.」は立派な人間として、他人から一目おかれる立場になるべきであるという武士の立場から考えれば、これも納得が行く。さらに「1.」と「2.」はとにかく年長者は偉くて正しくて敬うべきだという、儒教思想が色濃くにじみ出ていることが分かる。

今でも成り立つ? 時代違い!?
さて、現在においても「什の掟」は通用する、あるいは教えとして成り立つだろうか。「6.」「7.」は社会習慣が変わっているので「するな」というのは酷。ただ、従った方が行儀が正しいように見えるには違いない(少なくとも「食べ歩き」が行儀が良い、と判断する人はいまい)。

「3.」「4.」「5.」、すなわち「ウソをつくな、卑怯なことをするな、弱いものいじめをするな」は、それこそ小学校時代から学んでいることで、道徳・倫理観のの初歩レベルの話。この3点は今でもまったく変わらない。

親が子どもをしつけるイメージ問題は「1.」と「2.」。それぞれ「言うことを聞け」は実務的に、「おじぎをしろ」とは形式的に、年長者に従うべきことを説いている。これは年齢に従ったピラミッド型・年功序列制の社会システムが前提となっている。「このような仕組みの中で生きていくには、上の人を敬い、従わねばならないのだよ」というメッセージが秘められている。年長者を偉い人・敬うべき人とするのなら、これもまた、現在でも通用すると見ても良い。

ただし、この言葉の裏には「年長者は子どもから偉いと判断され、敬われるべき人物でなければならない」の意味もある。子どもは無条件で(「什の掟」に従って)年長者の言うことを聞き、敬意を示しているのだから、年長者・大人もそれに従わねばならないというわけだ。子どもたちの態度・姿勢が年長者にもプレッシャーを与え、矯正をしているということになる。ある意味、子どもだけでなく大人をも「教育」させる、賢い仕組みが「什の掟」には秘められているといえよう。



現在において、「1.」と「2.」、すなわち「上の人を敬い、従わねばならないのだよ」と子どもや年少者に言い聞かせるだけの姿勢を、上の人・年長者たちはしているだろうか。胸を張って断じることができるだろうか。「什の掟」は単に、子どもの教育姿勢・方針を示すだけでなく、「大人があるべき姿」をも描いているのかもしれない。

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