政治や社会の不正追及、政府の監視、国民の声の反映…新聞が自認する責務はどれだけ果たされているか(最新)

2018/01/22 05:13

このエントリーをはてなブックマークに追加
2018-0121テレビやラジオと比べ、報道機関・媒体としての歴史が古い新聞には、その設立・構築過程などから、さまざまな責務・社会的存在意義を背負っていると言われている、あるいは自負している。その内容は新聞読者を含む世間一般には、どのように認識されているのだろうか。しっかりとその責務を果たしていると思われているのか、それともその志を失っていると見られているのだろうか。財団法人新聞通信調査会が2018年1月18日に発表したメディアに関する全国世論調査から、その実態を確認していくことにする(【発表リリース:第10回メディアに関する世論調査結果】)。


スポンサードリンク


今調査の調査要綱は先行記事【じわりと下がるメディアへの信頼度、ようやく下げ止まりか(最新)】を参照のこと。

新聞には報道機関としての一翼を担い、多種多様な責務・存在意義があるとされている(それが正しいか否かはまた別の問題であり、今件では取り上げない)。政治や社会の不正追及、政治に対する客観的な視点、国民の声の政治への反映の後押し、公明正大な姿勢などなど。そこで今回は、今調査結果で公開されている3要素「政治や社会の不正追及」「政府の監視の役割」「国民の声を政治に反映させるのに有益・貢献」について、属性別でどのように思われているかを確認する。

設問では提示された内容に「そう思う」「どちらかといえばそう思う」「どちらとも言えない」「どちらかと言えばそうは思わない」「そうは思わない」の中から1つを選んでもらい(+「無回答」が生じる)、そのうち前者2つ(肯定派)と、後者2つ(否定派)の値をカウントしたもの。なお属性全体の回答傾向を確認すると、半数前後が「どちらとも言えない」の回答で占められているため、突出した値が出にくい形となっている。

まずは「政治や社会の不正追及」。

↑ 新聞は政治や社会の不正を追及している(2017年度、属性別)
↑ 新聞は政治や社会の不正を追及している(2017年度、属性別)

4割近くの人が肯定、否定派は1割強。男性の方が新聞の不正追及を信じている人が多い。年齢階層別では未成年者が肯定派でいくぶん高い値を示しているが、成人に達すると値は下がる。40代までは不信感の強さが継続し、50代以後否定派が減り、40代以降から肯定派が増える。元々新聞などが全盛だった時代を生きて来たからなのか、それとも他メディアへの関心が薄いからなのかまでは今件調査からのみでは分からないが、高齢層では新聞に対する政治・社会への不正追及を強く信じていることになる。

続いて「政府への監視の役割」。

↑ 新聞は政府を監視する役割を果たしている(2017年度、属性別)
↑ 新聞は政府を監視する役割を果たしている(2017年度、属性別)

政府への監視の役割は、最初の「政治や社会の不正追及」と比べ、肯定派が少なく、否定派が多い。それでも全体では肯定派の方が多いが、差は7.5%ポイントでしかない。

男女別、年齢階層別の傾向も似たようなものだが、差が元々開いていないこともあり、未成年者から40代までは否定派の方が高い結果が出ている。つまり若年層から中堅層は新聞に対し「政府の監視役割があると自称しているが、その役割は果たしていない」と見定めていることになる。ただしこれが「政府に迎合している」「政府に反発している(監視を超える活動をしている)」いずれか、さらにはそれ以外の意味を有するかまでは今項目では判断ができない。一方シニア層になると「新聞はしっかりと政府の監視役を果たしている」との意見が多数を占めている。

最後は「国民の声を政治に反映させるのに役立っている」。ここで言及されている「国民」とは無論日本国民であり、老若男女を問わず全体としての声を意味するが、昨今では一部界隈のみの声を反映するとの指摘も見受けられるように、揺らぎを見せる概念、社会的意義ではある。

↑ 新聞は国民の声を政治に反映させるのに役立っている(2017年度、属性別)
↑ 新聞は国民の声を政治に反映させるのに役立っている(2017年度、属性別)

全体では肯定層が3割近く、否定層が2割強で肯定派が優勢。男女別では肯定・否定ともに男性の方が高く、明確な意思判断を下している(「どちらとも言えない」では無い)ことになる。

年齢階層別では30代までは否定派が多数となり、「政府を監視する役割を果たしている」と同様の動きを見せている。40代から50代でもほぼ同率、60代以降で肯定派が多くなり、70歳以上では圧倒的多数に及ぶ動きも同様。ここで言及されている「国民」は、多分に回答者本人あるいは周辺が意識されていることを思い返せば、色々と納得のいく動向には違いない。



冒頭でも触れているが、これらの志、責務が正しいものか否かは別の問題となる。さらに新聞を送り出す界隈が「正しい」と自認し、使命感を持って行っている内容そのものが、公明正大なものか、社会にとって益となるとは限らない。むしろ新聞(社、関係者)の持つ独自の理念を軸に据えた上でこれら大義名分を果たすため、結果として罪悪となる事例も皆無とは言えない。

今や新聞社は多数の人たちから、今件取り上げられたような「志、責務」の観点で追及されうる立場にもある。自らを見つめ直す謙虚さを忘れていては、手に持つ剣はさびていくばかりとなるに違いない。


■関連記事:
【世界各国の「新聞・雑誌」や「テレビ」への信頼度(番外編)(2010-2014年)(最新)】
【世界各国の「新聞・雑誌」や「テレビ」への信頼度(2010-2014年)(最新)】
【新聞一番テレビが二番…メディアへの信頼度、テレビと新聞の高さ継続(最新)】
【信頼を失いつつある米新聞やテレビニュース】


スポンサードリンク


関連記事


このエントリーをはてなブックマークに追加
▲ページの先頭に戻る    « 前記事|次記事 »

(C)2005-2024 ガベージニュース/JGNN|お問い合わせ|サイトマップ|プライバシーポリシー|Twitter|FacebookPage|Mail|RSS