「分かりやすい」イコール「正しい」ではない

2013/12/31 10:00

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通信インフラの高性能化やパソコンをはじめとするデジタル機器の機能向上、画像や映像を含めたマルチメディア素材をそつなくこなす多機能情報端末となるスマートフォンの普及、YouTubeをはじめとする動画共有サイトの浸透、そして画像・映像を容易に第三者へ公知できるソーシャルメディアの一般化、キュレーションサービスの展開。これら各種環境変化に伴い、文章だけでなく多様な切り口で他人に情報を教え伝えることが可能になった。一枚の画像が数冊の本にも勝る情報を数千、数万の人に教示させることすらありえる。しかしそれら「分かりやすい」情報は果たして心に留め置く、記憶するに値する「正しい」情報なのだろうか。


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情報過多社会では「圧縮型情報」が求められる


単なる文章よりも画像、そして動画の方が多くの人にとって見聞きしやすく、理解しやすいのは、以前から言われていたことである(例えば2007年に【携帯検索サイトでも「画像は大きい方」がイイ!】のような記事を見つけることが出来る)。頭の中に入れるためのハードルが低く、印象で概況を推し量れるからだ。理解するのに楽で、つかみを得やすい、と表現すべきだろうか。子供向けの絵本や教育系アニメが良い例となる。

下記の動画は3年前に話題に登った、当時のソーシャルメディアの現状と普及ぶりを4分程度にまとめた動画「Social Media Revolution 2」。情報取得ハードルは低く(再生するだけでOK)、各種情報とソーシャルメディアの勢いを概要として十分に把握できるものとなっている。


↑ Social Media Revolution 2 (Refresh)

また、理解するまでの時間が短くて済むのも、好まれる理由の一つ。いわゆる「まとめサイト」や、タンブラー(Tumblr)をはじめとするキュレーションサービスによる情報提供が好例となる。

画像や映像を創る過程のハードルも下げられた昨今では、これらを積極的に用い、より多くの人に、分かりやすい形で伝えたい情報を公知する人が増えている。情報の量が加速度的・累乗的に増える一方で、人間の情報処理能力はそれほど上がっていない。オーバーフロー化しないように、まとめたものを好むようになる。じっくりと腰を据えて理解に取り組み、モノにしていくのは、自分が本気で取り組みたいものに限らざるを得ない。

気になった対象に限っても、すべての情報を本腰でくまなく取得して見聞きしよう、確認しようと思ったら、1日が48時間あっても足りやしない。情報化社会において、画像や動画、キュレーションサービスなどによる「分かりやすい」、そして短時間で把握できる「圧縮型情報」は必要不可欠となっている。「まとめサイト」が流行る一因も、まさにここにある。ダイジェストで良いから、美味しいところのつまみ食いで良いので、とにかく情報が欲しい。その需要に合ったスタイルといえる。後述するが、従来型4マス、テレビや新聞、ラジオ、雑誌もまた、特に非紙媒体のテレビやラジオは典型的な「圧縮型情報」手段に他ならない。

「分かりやすい」と「正しい」はイコールではない


これら「圧縮型情報」の普及に伴い、問題も顕著化している。「圧縮型情報」は本来「正しい」情報を「分かりやすい」形で提供するための手段である。そして需要に従って普及し始めているものだが、同時に、そして多分に「分かりやすい」ものは「正しい」という誤解が生じ始めている状況がある。

写真があるので「この話は正しい」として広まった内容が、実はコラージュ写真だったり、第三者の写真を勝手に使って異なる状況を解説として加えただけだったという事例(先日の【煽動と炎上と集客と…撮影者以外による拡散と炎上騒ぎ、その理由】が好例)が目につくようになった。「まとめサイト」をはじめとするキュレーションサービスを利用した「圧縮型情報」でも、本来ならその情報にある程度以上長けた人で無ければ適切なまとめは出来ないはずなのに(野球に関する専門知識の無い人が編集した、プロ野球の解説書を読みたいと思うだろうか?)、いい加減に編集されたものが増え、情報のノイズ化が起きている。この傾向は「海外の話だから正しい」「専門家の意見だから正しい」「肩書のある人の話だから正しい」などとする、権威主義的傾向にも近しいものがある。

さらには「インパクトとあおりを優先し、確からしさは二の次で、とにかく目に留められ、注目されれば、アクセスを集めれば良い」という煽動タイプの「圧縮型情報」、そして「最初から事実でない、あるいは特定の(概して偏見に満ちあふれ事実とは異なる)主義主張を広めたい」との目的による布教タイプの「圧縮型情報」が増えている。「まとめサイト」の類でも、編集によってどのようにでも話全体の構成、主旨を変えることができるため、編集側の都合の良い(例えば特定勢力にマイナスのイメージを与えるような)話の流れがあったという内容に仕立てることができてしまう。

そして「圧縮型情報」の提供による情報取得・把握に慣れてしまった人の多くは、絶え間なく流れてくる情報の中で、その「圧縮型情報」を「正しい」と認識し、知識として取り込んでしまう。

↑ 正しさと分かりやすさと。「圧縮型情報」の有るべき姿と現状
↑ 正しさと分かりやすさと。「圧縮型情報」の有るべき姿と現状

本来「『正しい情報』を手早く会得するための存在である『分かりやすい情報』」こと「圧縮型情報」が、正しいか否かを精査する必要が生じつつある。何とも面倒な話ではあるが、すでにそうせざるを得ない時代に突入している(無論、「間違った内容で、後で恥をかいたり痛い目にあったとしても、その場で面白ければ真偽はどうでもいい」という考え方なら、話は別だ……いや、それも良くない。口コミにより、無垢の第三者にマイナスの影響を与えてしまいかねないからだ)。いずれにせよ、分かりやすい情報「圧縮型情報」が広く浸透している今だからこそ、正しい情報を見極める「情報精査能力」が求められているといえよう(あるいは正しい情報を発信する情報源を見極める力でも、ある程度は代用できるのだか)。

もっとも、【「麻生首相がドイツを名指しで批判した」と報じられた記事などを検証してみる】の実例にある通り、昔から存在していた「圧縮型情報」の一つである従来型4マスでも、往々にして「分かりやすい」と「正しい」がイコールではないという事態は多々起きている。単に「圧縮型情報」の製作・頒布ハードルが技術環境の進化で低いものとなり、より多くの人が同じ手法を、新たな情報フィールドで展開しているだけなのかもしれない。


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