報道される側の一次情報公開のススメ

2013/08/04 16:00

先日の【ネット上でウソや欺瞞に騙されないためのチェックリスト】でも触れたが、本来信じられる対象だった情報発信元からの情報が、首を傾げるような精度、内容である事例が多々見受けられるようになった。あるいは元々そのレベルでしかなく、それが「不特定多数が確からしさを検証し、お互いに突き合わせ出来る環境」が整備されるにつれて、実情が暴露され始めただけなのかもしれない。

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相次ぐ「解釈の違い」では済まない誤報的な報道


昨今も報道される対象側による一次情報が公開される前に、各種報道によってその主旨が半ば以上ねじ曲げられ、(意図的・無意識のどちらかはともかくとして)誤解釈の上で公知・拡散され、さらに一次ソースも確認せずに、その報道内容を元に拡大解釈を行う「評論家」「ジャーナリスト」の方々により、不必要なリソースが多分に費やされ、多くの人が惑わされる事例が発生する形となった。

後程「報道対象側」から一次情報の類が流されたが、誤報に等しい解釈を報じた側はほとんどが訂正をすることなく、自らの一報を主張し続け、「評論家」「ジャーナリスト」は良いネタにありついたとばかりにあおり続ける始末。

解釈の違いがあるから、読解力の問題との指摘もあるが、そのハードルを越えるのがプロの仕事であり、それが出来ない上で正当性を主張するのは、仕事を成すものとして失格と言わざるを得ない。

「誤解釈」と呼ばれるものの具体例


切り口は多種多様。事実を切り貼りして意味を違えたり、事実を伝えてはいるが印象をまったく逆のものにしてしまったり、一部のみを抜き出して本旨と別のことを語っているように見せかけたり。

例えば「コップに水が半分入っている」という事実があったとする。これをどのように伝えるか。


↑ コップに半分の水。どのような表現をするか

「コップには半分も水が残っている」「コップには半分しか水が残っていない」。双方とも事実を伝えていることに違いは無いが、印象はまったく逆になる。

例えば「あのお店の料理はヤバイ ついつい食べ過ぎてしまう」と語ったとして、前半の「あのお店の料理はヤバイ」だけ切抜きされたらどうなるか。印象どころか語っている内容そのものが逆の意味となってしまう。

子供だましのような話だが、これらの切り口はごく一部のもので、しかも日常茶飯事のものとなっている。

このような事例は少なからずあるのだが、結局のところ益を得るのは本来謝罪をしなければならない各報道勢や、その誤報を元に注目を集める「評論家」「ジャーナリスト」の方々。そして短期的、さらには中長期的に損をする、痛手を受けるのは「報道される対象」と不特定多数の一般の人達。このような状況は決して良いとは言えない。

報道対象側は自ら一次情報を可及的速やかに発するべき


そこでおススメしたいのが、報道対象となる側の「可及的速やかで不特定多数がアクセス可能な一次情報の開示」。そもそも各報道によって情報が間接的に、仲介の形で伝えられるのは、情報伝達機関が不十分で、不特定多数の人達に伝える方法があまり無かったため。それゆえに報道機関が「適切にまとめ上げ、分かりやすくした上で」伝える責務を担っていた。しかし上記にある通り、現在では(あるいは以前からかもしれないが)その信頼性が揺らぎつつある。

一方でデジタルメディア、インターネットの普及により、不特定多数へ向けた情報発信のハードルは低いものとなりつつある。スマートフォンがあれば誰もが放送局のように動画を配信し、世界に向けて放てる時代。誤解釈や編集による意図しない形、内容の二次情報による「誤解」が生じる前に、あるいは生じた直後にでも、一次情報として「生の情報」を不特定多数がアクセスできるようにする。

それにより、二次情報は不特定多数によって検証精査され、間違いがあれば多方面から訂正を求められるようになる。また誤った二次情報による各種損害も最低限に留められることができる。誤解釈、あるいは捏造による論調も、単なるデマとして失笑の対象でしかならなくなる。

具体的な方法はいくらでもある。議事録を即時配信するのはもちろんだが、極力音声、映像を公開するのが望ましい。会話内容を文字におこしたものを併記すればベストである。動画ならば独自配信のシステムと、YouTubeへの公開を同時に行えばリスクも低減できる。特に後者は「埋め込み可能」で配信することにより、さらなる多くの人による検証(=誤認リスクの減少)が期待できる。



実はこの問題、すでに2006年の時点で任天堂が問題提起をし、具体的行動に移しており、それは今でも続いている。詳しくは【任天堂のWii発表会を伝えるコンテンツに見る、情報配信とメーカー・読者・報道媒体との関係】で解説しているが、専門誌があまりにも体たらくな情報の配信を続けたために、同社が決断せざるを得なくなったものである。

その文中にある「配信元にとって直接読者に情報を伝えることは、本来の意図と違った形で情報が解釈され流れてしまった場合の保険となる」とは、今でも、むしろ今だからこそ、改めて認識すべき言い回しといえよう。

なお報道機関への信頼性の揺らぎは日本に限った話では無い。すでに2年前のアメリカの調査でも、報道機関への信頼性は減退していることが明らかになっている(【ミスを認める18%・誤魔化そうとする72%…米でのニュースへの信頼性などをグラフ化してみる】)。

↑ 報道機関は自らの間違いを認めるか
↑ 報道機関は自らの間違いを認めるか

日本に限った話では無い、ということなのだろう。

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