東日本大地震を巡る2紙の話・石巻日日新聞と東海新報

2011/04/17 06:47

新聞以前【世界中から「今日の新聞一面」を収集したサイト「Newseum」】でも紹介した、ワシントンDCに位置する、ニュースの歴史と意義などを啓蒙する博物館【Newseum】は2011年4月12日、先の東日本大地震で被災した宮城県の地方紙【石巻日日新聞】が震災直後にフェルトペンの手書きで新聞の発行を続け、避難所などに貼り出した壁新聞を「人類の情報へのあくなき欲求と、それに応えようとするジャーナリズムを強力に物語る、時代を超えたメッセージ性を秘めた新聞」と評価。同社から該当する新聞を譲り受け、博物館の展示品として加えることを発表した(【トリガー記事、47News】)。

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↑ 東日本大地震の本震翌日に作成された石巻日日新聞・号外(リリース添付資料から)
↑ 東日本大地震の本震翌日に作成された石巻日日新聞・号外(リリース添付資料から)

同紙は大正元年(1912年)創刊。8ページ構成の夕刊紙で毎日発行している。同紙は震災とその後の津波で編集関連の設備を失ったものの、難を逃れたロール紙を用い、懐中電灯の明かりを用いてマジックペンを使い、手書きで新聞を作成した。スタッフのうち6人は情報収集にあたり、残り3人は1時間半をかけて文章を紙に書き込む。そして周辺の避難所の入口に壁新聞として貼りつける作業を続けた。

第一号は上の写真にもある本震翌日12日の「号外」で、日本の観測史上最大規模のものであることを伝えている。翌日になると救助隊の一部が到着しつつあること、16日には「この困難を助け合いの精神で打ち負かしましょう」、17日までには「電気が復旧しつつある」ことを伝えている。

18日には電気が回復し、印刷版の石巻日日新聞が発刊。以降も手書き版同様に、避難所に配布されている。

NewseumのCarrie Christoffersen学芸員はリリースの中で「21世紀のあらゆる便利なツールが失われ、そして個人自身も厳しい困難にさらされた中においても、ジャーナリストたちは地域社会に欠かせない情報を提供する責務を果たした。彼らはそれを実行するために、ペンと紙を用いた」とし、今件新聞が展示に値する、価値あるものとの認識を示している。

「こんなこともあろうかと」と自家発電機を装備、震災当日に号外を発行した東海新報
……と、石巻日日新聞の話をしていたところ、【東海新報】の話を耳にした。同紙は岩手県大船渡市に位置し、旧気仙郡の2市1町(大船渡市、陸前高田市、住田町)を対象にして1万7000部を刊行する日刊紙。チリ地震津波で被災した「かつての経験」を活かし、不便だが津波の心配をしなくても済む高台に社屋を移転し、さらに借金をしてまで自家発電機を装備。今般東日本大地震の際にはその「備え」が見事に役立ち、翌日から印刷紙による特別編纂号が発行されている。同社社長の「地元が大変な時に出せねんだら、地域紙に存在価値なんかねぇんだぞ」という言葉が染み入るように伝わってくる(東海新報の社屋のいきさつについては【同社記者の語りを参照のこと】。当日夜に配布された、3月12日付の号外はカラーコピー機で印刷。翌日分から輪転機を用いている)。

↑ 2011年3月12日付「津波号外」(一部地域では震災当日の夜に配布されたとの話。カラーコピー機で2000部が刷られた)
↑ 2011年3月12日付「津波号外」(一部地域では震災当日の夜に配布されたとの話。カラーコピー機で2000部が刷られた)

同社の公式サイトは市内のネット網が途絶えているため、東日本大地震直前から更新が止まったままになっている。そこで胆江日日新聞では【同社公式サイトの領域を使い】、東海新報社屋に出向いた上で紙面データを受領し、PDFファイルを圧縮した形で不定期ながらも更新・公開している。



今回取り上げたのは二紙のみだが、他にも称賛に値する「報道魂」を見せている地方紙は山ほどあるはず。【「全国紙」の都道府県別トップシェア新聞を地図化してみる】の話が思い返されるばかりだ。恐らくはテレビでも似たような状況が一部で起きているのだろう。

震災直後の報道姿勢で一部大手メディアが非難の対象となり、足元の喪失感を加速させている。一方で今件紹介したように、従来の意義・使命を改めて認識し、その想いを秘めて行動する人たちもいる。読者、視聴者の立場にある人は、一人ひとりが、(新聞やテレビに限った話ではないが、)誰が何をしたか、そして何をしなかったのかをしっかりと覚えておき、今後の判断に活かす必要があるに違いない。

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