「もう止めてもいいよネ」と判断する4つの方法

2010/11/02 07:10

止める途中で物事を投げ出し、「いくじなし」と他人に言われ、気を悪くしない人はいない。傷つき、動揺し、ショックで寝込んでしまうかもしれない。物事を途中で止めることは、そのような評価を受けるリスクを伴う。そして「成功者は決してあきらめたりはしない。途中で逃げ出すいくじ無しには成功はありえない」とは良く耳にする話。しかしそれはルールの曲解に過ぎない。多くの成功者は「止めねばならないものをいつ止めるべきか」を知った上で、今進んでいる道のりが「止めなくても良いもの」だと知っているからこそ、ひたすら前に進んでいる。ゴールの無い道のりなど山ほどあるし、それに終止符を打ち(場合によっては)ゴールの存在しそうな道に移ることについて、誰も非難することはできない。【Dumb Little Man】では「今突き進んでいる物事に対し、いつ終止符を打つべきかを判断する4つの方法論」について説明している。

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1.「もう終りにしてもいいネ」と自分自身で望んでいる事が分かった時
多くの人は数日レベルでは無く、数か月、数年先に成果が見えてくる物事に従事している。そしてその「成果が見える」までの過程は、大抵において辛い経験の連続になる。しかし先行きが見え、ゴールにおいて得られるものが素晴らしいものだからこそ、辛い経験も耐えられる。むしろ成功時の自分を想像し、その辛さに価値と楽しささえ覚えてくるというもの。しかし過程が単に辛いものでしか無いと感じたら、成し得るであろう成果に価値を見いだせなくなった証拠。その時は、歩み続けて良いのか再考する必要がある。

例えば壺作りが楽しくて工芸家を目指していたとする。しかし周囲環境の変化の中で、住宅の設計に興味を覚え、同じ「モノ創り」でも住む人の気持ちを考えた住宅を創りたいと考える気持ちが大きくなってきたとしよう。そのような気持ちの中で、毎日の壺作りの修練が楽しい時間であり続けるだろうか。苦行でしか無くなっている、「もう終りにしてもいいな」と思う時が来ているに違いない。

終わりが見えない2.終わりがまったく見えない時
作業が何年も堂々巡りで、少しも前に進んでいるように見えない時。ゴールそのものがまったくつかめない時。もちろん物事において明確な終末点が見えることはほとんど無い。それにしっかりとした目標が見えなくとも、それらしい場所にに向けて走り続けること自身が楽しいのなら、それはそれで素晴らしいことであるし、止める必要はない。しかし仮に「ゴールそのものすら見通しが立たず」、しかも「そのプロセスが辛く苦しいものばかり」ならば、その物事を続けることに何の意味があるのだろうか。

3.何も得るものが無い時
ただ惰性で物事を進め時間と回数を重ねているだけで、それ以外の何物も得ていない時。例えば「何も習得できない習い事」「かつて興味を持って参加していたが、今やその興味が失せてしまったもの」「魅力や刺激を覚えていたが、今やそれらを感じなくなったもの」などが該当する。

もっと具体的な例としては、かつて興味を持っていた趣味に関する定期購読雑誌を、その趣味に関する興味が薄れた後も惰性で買い続けている場合が該当する。惰性で購入し続けても、お金の無駄。得るものといえばチリ紙交換用のゴミだけだ。あるいはほとんど利用しなくなった、毎月微額の課金が発生するインターネットサービスなどが、例としては分かりやすいだろうか。

分岐点4.優先順位が大きく変化した時
自分を取り巻く環境は日々変化を続けている。ましてや一年前と今日とでは、価値基準も様変わりしている場合がある。たとえスタートした時は「時間やお金を費やしてでも絶対に成し遂げるべきもの」と考えていた事柄が、時間の流れの中で陳腐なものになってしまう場合もある。また、絶対的な価値は変わらなくとも、もっと価値ある、注力しなければならないものが生まれ、相対的な順位が下がる場合もある。そのような時は躊躇なく、勇気を持って作業に終止符を打ち、「今現在」自分が成すべきことへ力を注ぐべきだ。

具体例としては、結婚して子供が生まれたのなら、子供を含めた家族を守ることを第一に考えねばならない。多額のお金を費やしていた趣味の優先順位を下げるなり、止めねばならないこともあるだろう。また両親を介護する時間を確保するため、出世を伴う栄転に対し首を横に振るという選択肢もある。

踏切中にはまったく無意味で続ける価値の無いものについて、もう少し前進していたら莫大な成果を確保できた、そのようなパターンも皆無ではない。しかしそのようなレアなケースまで気にしていたらキリがないし、成果が期待できていたのなら、「止める」判断は下さなかったはず。

人生において歩める選択肢は山ほどあれど、方向は一方向でしかない。一つの選択肢の過ちに気がついても、時系列を過去に戻ってやり直すことはできない。同じ時系列で別の選択肢に移るだけの話。そしてどの選択肢を選んでも、人生は一度きり。意固地になるのも方法論の一つだが、意固地になるだけの理由(例えば先がしっかりと見極められる)を確信した上で行うようにしよう。「やり直しを要求する!」と叫んでも、誰も応えてはくれないのだから。

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