テレビ漬けになった人に贈りたい「本当にテレビは必要なの?」な5つの自問自答

2010/03/26 06:53

テレビ視聴イメージかつては万物の支配者のごとき立ち位置にあり、日常生活には欠かせないライフライン的な存在価値まで見出されていたテレビ。しかし【若年層ネット動画の普及でテレビ放送からの脱却進む・10代のテレビ視聴時間は6割まで低下】【ついに「テレビよりインターネット」の世代登場・年齢差がきわだつメディアへの接触時間】などにもあるように、学生を除いた若年層で「テレビ離れ」の傾向が見られる。それはさておくにしても、昨今の「テレビ漬け」な毎日を続ける自分に疑問符を投げかけ、その状態から抜けださねば、と考える人は少なくない。それらの人に贈るべく、ある人が自分の経験を元に見出だした「本当にテレビは必要なの?」という、5つの自問自答すべき項目を紹介することにしよう(Dumb Little Man TIPS FOR LIFE)。

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テレビをBGM代わりにつけているイメージ1.「テレビをつけてないと何となく静かで寂しいよね?」
雑多な音に慣れ親しんだ昨今では、逆に静寂な時を過ごすのは不安にかられる要因ですらある。【「テレビをつけている時間」と「視聴時間」、「視聴率」を考え直してみる】などでも触れているように、最近は「テレビを見ながら●×をする」という時間帯が増え、「テレビを観ている」ではなく「テレビをつけている(だけでまともに視聴しない)」人が増えている。確かにテレビをつけていないと静かだし、寂しいかもしれない。しかしそのテレビから流れる情報は不景気の進行、目も覆いたくなるような・気が重くなる事件、つまらない論説や滅入るだけのプロパガンダなど、時として(日本の場合は半ば意図的にですらある)憂鬱さを導くネタとなる。

そしてそれ以上に静寂な時間は、雑音から解放された思考・意識を明瞭なものとしてくれる。第三者の声に耳を傾け、注意を払う必要が(例えBGMのようなテレビの音でも)無くなるのだから、当然のお話。さらに余計なことを頭の隅で考え、注意を払う必要が無くなるため、脳内の、あるいは精神的な疲れを軽減することも可能となる。

2.「子供だってテレビが見たいと思うし」
テレビは非常に魅惑的な媒体で、特に子供にとっては「魔法の箱」に他ならない。テレビのスイッチをオンにしておきさえすれば、子守りも簡単。当方(不破)も通院先の病院で、小児科の待合室でエンドレス状態で流される某菓子パン系のヒーローものアニメや、バスに変身するモサモサな大型モンスターのアニメ映画と、それに釘づけになる子供達の様子をみるに、「子供を大人しくさせるにはテレビが一番だな」と感じてしまう。

しかしテレビの視聴も過度になると、子供の想像力を失わせ、情緒面で問題を引き起こすリスクを生じる。【検索してみればお分かりの通り】、医学的な話だけでなく、多数の実体験による報告もあるのだから、否定するわけにはいくまい(原因の一つには「テレビ漬けになると一方的な情報受信だけで、子供からの反応を必要としない環境に長時間おかれるのが問題」という話もある)。子供も「見たい」と思うのは事実だが、それが子供の「ためになる」かはまた別の話、というわけだ。

3.「教育番組とか、ためになる番組を見たいナ」
日本では最近は「視聴率集まらないしお金も手間もかかるしぃ-」という制作サイドの都合で数が激減しているが、テレビ番組の中には歴史や文化など教養を習得できそうな教育番組も少なくない。それらの番組で「知識を身につけたいから、テレビを観る」という人もいるはず。

しかし自分に問い直してほしい。その知識や教養が、本当に自分に必要なのだろうか。自分が求めていたものなのだろうか。例えばある教育番組を観たいと思った時に、そのテーマについて「専門書を買い求めて調べたい」「研究を続けているウェブサイトを確認してより知識を深めたい」という知的欲求はあるだろうか。もし無いのなら、それは学んでも学ばなくてもよさげなもの、いわゆる「トリビア」を習得しているに過ぎない。それに費やす時間があるのなら、「自分自身が望む、もっと有益な教養・知識」への探求に割り振るべきだ。

つかれたのでテレビを観て横になってるイメージ4.「仕事疲れをテレビでいやしてくつろぎたいよね」
一日のハードワークを終え、自宅でゆっくりとくつろぐのは決して悪いことではない。人間だって生き物だ。心も身体も休息は欠かせない。しかしテレビを観ることは本当に最高の「いやし」「疲労回復」のための方法だろうか。例えば入浴や家族との対話、庭で草木の香りを楽しみながら椅子に座って時を過ごすことの方が、はるかに効果的に「いやし」を得られるはず。

しかもテレビを観始めると、つい怠惰な気分になり、夕食の準備が出来たとの声がかかるまで、ずっと自堕落な時間を過ごしてしまうもの(誰にも経験はあるはずだ!)。この時間ほど、意義の無い時間の費やし方は無い。

5.「テレビを観てないと、何か良い情報を聴き逃すかもしれないでしょ?」
【テレビ観た・これから観る時何をする? 番組ネタに知人とおしゃべり】などにもあるが、テレビは視聴する行為自身よりも、その視聴で得られた情報を他人と共有することで、コミュニケーション(いわゆる「昨日のあの番組、面白かったよね-」という「テレビ談話」)のツールとしての「情報」を得るための道具として用いられることが多い。多くの人が共有する情報を得るには、やはり多くの人が観るテレビに時間を割かねば、という強迫概念を持ってしまう。クラスの皆が昨日のバラエティ番組について語る時、それを観ていない自分は寂しい思いをしてしまう。そんなのはイヤだ。事情はよく分かる。

しかしそれは、自分の周りの世界を見る目が限られている子供の時分だけの話。さまざまな知識と行動力、そして情報を手に入れる手段を身につけ、世界の広さと豊かさを知る年頃になれば、テレビの世界がいかに狭いものであるかを認識し、「テレビ談話」があまりにも意味の無いものであるかを知ることになる。

それはまるで挨拶の際の「今日は良い天気ですね」のようなもの。相手も認識しているだろう情報の一つとして、会話のきっかけとして用いるには良いが、天気の話題だけで会話を延々と続けるのは至難の業である。そして、ほとんどすべての人にとっては時間の無駄でしかない。

今回の話では、そのままストレートに読むと「おや? そうかな」と思わせる部分もある。例えば「3.」なら、自分がダイレクトに望む知識で無ければ「テレビで観ても時間の無駄」的な話が語られている。しかしすぐに「必要だ」と判断できる情報で無くとも習得しておくことで、将来他の情報との結びつきで新たな価値を見出すことがある。また、思いつきやひらめきなどの「エネルギー源」「きっかけ」にも、それらの「要らなそうな知識」が役立つことは、実は少なくない。

とはいえ、それらの知識をテレビに求める必然性はまったくない。書籍もあるし、専門知識を持つ他人との交流でもよいし、インターネットを使って情報の大海にダイブすることもできる(そう遠くないうちに、これに「デジタルブック」も加わることだろう)。一方的に、強制的に情報を押し付けるだけの、しかも(日本の場合は特に)内容・質の劣化がみられるテレビにこだわる必要はない。

現在のテレビ視聴スタイルについて、原文ではこんな短文を紹介している。なるほどな、と思わせるものなので紹介し、今記事の終わりの言葉に代えるとしよう。

テレビを観ている人って、テレビに映し出される番組を観てあちこちうろついたり、何か他の事を色々やってるよね。でも「テレビの本体自身」ってその場にずっと座って、こちらをじっと観てるばかりなんだよ。テレビ本体ってきっと、観ている人たちのことを「落ち着かない、ダメなやつだなぁ」と思ってるに違いないよ。
(You sit around watching all this stuff happen on TV. . . and the TV sits and watches us do nothing! The TV must think we're all pretty lame. -Shannon Wheeler)

……「ながら族」的な視聴スタイルがメインの昨今なら、言わずもがなといえよう。

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