「自分の不幸感」を知らせる5つのシグナル

2009/09/23 08:18

シグナルイメージ幸せ・不幸せは多分に個々の心境・感情的なものであり、物理的な物差しで測ることは難しい。しかし明らかに「自分は不幸だ」と思っていなくともさまざまな徴候から、心の奥底で「もしかしたら今は不幸せなのかも、ハッピーじゃないのかも」という心境を持つ状態を確認できる。不幸な心境は知らず知らずのうちに自分の行動判断をネガティブなものとし、身の回りの出来事を物理的にマイナスなものとしがちである(「不幸を感じる」自身は心理的なものでしかないにもかかわらず、だ)。HowStuffWorksでは人が「自分自身が不幸な心持ちにある」という5つのシグナルを提示し、それを察したらすぐにでも解決のための手立てを打ち、ハッピーな状態に戻るよう指南している。

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1.テレビの観過ぎ
ストレスが溜まるとその発散のためにテレビを観たくなるもの。画面に映し出されるさまざまなエンターテインメントはお手軽に気持ちを安らげさせ、多種多様な仮想世界へといざなってくれる。しかしこれがあまりにも長い時間、毎日続くのならば、それは「不幸感」の徴候。実際、教育や収入、年齢などに関係なく、「幸せ」を感じる人はそうでない人に比べ、毎週のテレビ視聴時間が3割ほど短かったという調査結果も出ている(不幸だからテレビを見る時間が長くなるのか、テレビに拘束される時間が長いから不幸になるのか、卵とニワトリの論争のようでもあるが……)。

元記事にもあるように「無用に長いテレビ視聴時間の一部を、例えば知人との付き合いのようなものに割り振ることが、幸福感の維持には必要」なのかもしれない。

2.人間関係のトラブル
他人とのコミュニケーション、他の人とのつながりは、自分の立ち位置を確立すると共に自分の幸福感を増長させる要因。逆にいえば、その関係にほころびが生じたり、いざこざか起きると、不幸につながるものとなる。例えば自分の友達と些細なことから意見の対立を起こしてしまった場合、どのような心境になるだろうか。「自分が間違っていたのかな、余計なことを言ってしまったのかも」「なんだ、いつもはこんなことくらいで反発することなどないのに」「何で俺とAさんとの間で対応が違うんだよ」などなど、さまざまな負の感情が渦巻くことになる。これを不幸な状態といわずして何と表現できようか。

ストレスイメージ3.自分でコントロールできないストレス
人は安全で快適と感じる環境では幸福や満足感を得、ストレスの多い環境では不幸と不安感を持つようになる。特に自分自身で制御が難しいストレスほど、強い不安・不幸感をもたらすものだ。そもそもある程度のストレスは自分の成長に欠かせないモノだが、これが多分に過ぎると心身に悪影響を及ぼしてしまう。

アメリカではこの35年の間に社会的地位を獲得し、経済的にも恵まれるようになったにも関わらず、主観的な「幸福を感じる度合い」は減少してしまったという研究結果がある。その研究によれば、地位向上に伴い生じる責任が避けがたい・コントロールできないストレスを生み、不幸を覚えるようになったとのこと。さらに元記事では「完全にストレスを無くすことはできないが、ポジティブな考え方や注意の集中(精神統一)、楽観主義的な思考はストレス解消に一役買う」とコメントしている。

4.恒久的な喜びを追い求める姿勢
宝くじの高額当選者も普通の人も、そして半ば体の自由を失った人も、その後の生活において同じような状況に置かれれば「幸せの度合い」は大して変わりがない、という調査結果が出ている。要は「幸福・幸せ」「喜び」は瞬間的なもので長続きせず、その状況にじきに順応してしまい、そして人は常に新たな「幸せ」を求めている。

言い換えれば「幸せだってすぐに慣れてしまうもの」。だから「人は常に新たな幸せを追い求める(から、恒常的に人は不幸を感じているのかも)」ということになる。

5.不眠症
仕事上のストレスを除けば不眠・睡眠不足は、最大の不幸の要素といえる(【眠りたい、眠れない、眠りたくない、不眠症】【良い眠りを手に入れるための10か条】参照のこと)。「1時間余計に眠ることが出来れば、その睡眠による幸せの度合いは6万ドル(600万円)の価値に等しいものがある」という研究結果もあるくらいだ。

不眠症・睡眠不足の問題はそれ自身だけに起因するものではない。不幸感から来る不安が不眠症のきっかけなのかもしれないし、逆に不眠症がストレスを引き起こし、不幸感をかさ上げしているのかもしれない。働き過ぎで睡眠不足となり、不幸を感じていた場合、それが睡眠不足による不幸感なのか、過労によるものなのかは断定できない。睡眠不足には多種多様な要因が想定できるので、多角的アプローチが必要になる。

要は不幸感が蓄積されると症状として表れうる行動形態に注意すること(テレビの観過ぎ、不眠症)、不幸を導く要因に注意すること(人間関係や解決が難しいストレス)、元々人は常に幸福を求めている贅沢な生き物なのだからある程度は不幸を感じても仕方ないのかもという3つの要素に集約されることになる。

よほど自分自身を痛めつけるのが好きな人でない限り、不幸な状態でいるのを望む人はいない。一方で改めてはっきりと「自分が幸福だ、不幸だ」と認識する場面もあまり無い。それがために(それとない)不幸な状態に長時間どっぷりと浸かってしまい、ネガティブな日々を過ごしてしまう場合も考えられる。

どの道不幸でも幸福でも、生きていられる時間は(さほど)変わりない。ならば幸福な時間を過ごした方が良いに決まっている。ならばまずは自分の不幸感を確認し、その上で直前の記事にあるような「幸せを増幅させる」姿勢を積極的に見せ、ハッピーな時間を取り戻したいものだ。

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